2009/5/3 はじめに
年齢 55才(1953生)、性別 男 身長168p、体重75s、バスト101、ウエスト100、ヒップ96 手術歴 入院は一度あるが手術は経験なし 職業他 一級建築士、運動は特に何もしていない
1〜18才 五島列島で過ごす 19〜45才 奈良・大阪で過ごす このままだと体調不良で死ぬかもしれないので(笑) 46〜55才 五島列島に生活を移す
ウニ漁(年に2ヶ月間の素潜り漁)で体力をつける 生まれ育った五島で健康を回復する
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もともと腹一杯食べる習慣で今日55歳まできた。普通に2膳、たまに3膳、好きなものはそれ以上満腹するまで食べてきた。食事には特別な配慮はしなかった。酒は腹一杯飲むのが礼儀だと思っていた。(笑)
若い頃は多少の運動量もあり、何も気にすることはなかったが、振り返って考えると、一つの大きな転機がバブルであった。1981年(S56年)結婚し同時に設計事務所を開業、時代はバブル経済に向かって進んでいた。バブル終焉が1989年だが、その後も数年は住宅需要があり忙しかった。
1981年頃の新大阪、江坂付近はまだ田んぼや畑が多く残っていた。それがバブル経済で一気に開発が進んで、1990年頃の駅周辺はビル、マンションが建ち並び過密化していった。先日2009.4月、10年ぶりに新大阪を訪ねてみるとさらにマンションが乱立し、空き地はすっかり埋め尽くされていた。
1981年私が27才から、45才までの18年間、大阪は活気があったし景気がよかったので、みんなが羽振りがよくネオン街は繁盛し、ゴルフ、スキーなどのレジャーも盛んで、おのずと付き合いも仕事も忙しかった時代だった。
そんな社会的背景があり、酒の飲み方も毎晩が宴会しているような感じで、赤い顔して仕事をしていた日も多かった。それで1990年、とうとう過労で入院する羽目になった。病室には銀行員の方も過労で入っていた。聞くまでも無く夜遅くまで接待し、休む暇がなかったのはうなずけた。過労で入院は当たり前の時代だったように思う。
どのくらいの暴飲暴食か?を参考までにここに書きたいのだが、日々の記録もなく、ただ言えることは酒は毎日飲み、酒屋の毎月の請求書がビール5〜6ケース、週3は居酒屋で乾杯し、その後飲み屋で酔っ払うまで飲み、毎週土曜日は1升瓶を抱えて来る知人がいた。二人で1升を飲みその後、私が車で自宅まで送るという習慣があった。今では考えられない酔っ払い運転だし、飲み屋は自分で運転してハシゴした時代もあった。今思えばゾ〜ッとする。決してほめられたものじゃない。
毎晩酒を飲んでいたある日、ふと「このまま暴飲暴食していたら自分の体はどうなるのだろうか?」と素朴に疑問を持った事があったが、分からないなら自分の体で実験すれば結果がでるだろう、と安易な結論を出した。(笑)
暴飲暴食を10数年続けていると、メタボで腹が出てきた。フラフラが出るようになり、外出がおかしくなり「パニック障害」に似た症状が現われた。仕事にも影響が出てきた。また経済も下降してきたし、ここで生活環境を根本から変えるべく田舎へ引っ越す事にした。
生まれ育った田舎へ帰ると「水が合う」のだろう、健康が回復してきた。それで酒は飲める時は飲み、体調がおかしくなれば止めての繰り返しでやっていたら、先日とうとう「腹痛」があり精密検査を受けた。エコー検査で胆石が見つかり、1.8〜2pあるので手術を要すると診断された。
それまでの胆石の症状は背中が痛むぐらいで、10分ぐらいがまんしたら治り、背中を踏んでもらったら治っていた。背中と腰はしょっちゅう踏んでもらっていた。
先日夜中の1時頃から朝まで腹痛で眠れず(この時ばかりは背中を踏んでも痛みは治らなかった)病院へ行き内科医の診察を受け、精密検査をして原因が分かり、すぐに外科の先生から説明を受けていたら、いつの間にか痛みが治っていた。(笑)
痛み止めの薬を処方してもらったがその必要はなかった。なぜか痛みは無くなっていた。きっと胆汁をふさいでいた石が外れたのだろう?
症状は人それぞれに違いがあると思うので、私は「暴飲暴食の末路」をここにメモして、一例として参考にしていただきたいと思う。逆に食事の節制の大切さ「腹八分に医者いらず」を再認識して、今後に活かしていければいいと思う。
世の中には私の想像をはるかに超えて、闘病生活をされている方も多いと思う。そのレベルからすれば私の「胆のう摘出」ごときは比べようも無いかも知れない。
ただ手術が初めての者には大いに不安であるので、体験記として多くの方が書いてくれれば、自分に近い症状を知る事で、不安がいくらかでも解消されればいいなぁと思う。私もみなさんの体験談を参考にして心構えができました。今現在の心境は...「ケセラセラ」である。 |
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